背中
空を見上げると、雲一つない晴天。
最近雨続きだったから、今夜は久しぶりに晴れるだろう。星も見られるかもしれない。私はいつものように店を開けた。
まだ明るい時間だから、しばらくは誰も来ないだろうが…。
―カラン―
そう思っていると、扉のベルが鳴った。
「いらっしゃい…おや、マリーじゃないか。」
「ハイ!久しぶりね、キング。」
見慣れた顔にホッとしながら持っていたグラスを置き、彼女のお気に入りのグラスを棚から取り出した。
「最近請け負ってた依頼がやっと片付いたのよ。」
「そうかい。大変そうだねぇ…。」
「まあね。でも仕事がないよりは大分ましよ。あ、いつもの頂戴。」
誰もいない店内で、カウンターの一番奥の席に座るマリー。ここが彼女の定位置なのだ。
「まぁ、確かに暇よりも忙しい方がいいね。」
言いながらマリーの前に注文されたブルーのカクテルを置く。マリーは軽く頭を下げ、グラスをゆっくりと口に運ぶ。
「ふぅ…仕事の後はやっぱりこれね!」
「なんか親父くさいぞ、マリー。…でも、そう言ってもらえると私も嬉しいよ。」
しばらく二人で会話していると、いつのまにか外が暗い。そう思ったら、次々に客が入る。今夜も忙しくなりそうだ…。
店が落ち着いてきた頃、黙って店内の様子を見ていたマリーがぽつりと呟いた。
「ね、何でお店開こうと思ったの?」
「え!?」
突然だったから声が上ずってしまった。
「ほら…仕事なんて色々あるのになってさ。」
ほんのりと頬を染めたマリー。グラスを差し出し、おかわりの合図を出す。私は黙ってグラスを受け取り、シェイカーを取った。
「…そうだね。…誰かが安心できるような場所を作りたかったから…かも。」
マリーは肘を突きながら黙って私の話を聞いていた。
「自分が何か人のためにできることあるのかなって…。酒は好きだし。作るのも飲むのも…。」
マリーの前に酒を差し出すと、すぐにグラスを持って一気に飲み干した。
「半分正解…かな。」
「…?何それ…」
酔ってるんだろうな、と思いつつも、引っ掛かる物言いだった。マリーはじっと私の目を見て言葉を続けた。
「キングは、自分の居場所が欲しかったんじゃない?」
…自分の、居場所…?
「勝手な推測だけどね…。私も、仕事で気を紛らわせている部分もあるし…。人のために何かをしていて、自分を救おうとしてる面もあるんじゃないの?」
「………」
何も言えないでいると、マリーは笑った。テーブルにお金を置き、立ち上がる。
「ごめんごめん、変なこと言って!…でもね、無理しちゃダメよ。誰かに頼ることも必要なんだからさ。」
マリーは「ご馳走様」と言って店を出ていった。私はマリーが立ち去るのをただ見ているしかできなかった。
閉店時間になり、急に静かになった店内を見回した。
マリーが言っていたことが頭の隅に引っ掛かっている。マリーは、自分を救おうとしてると言った。本当にそうなのだろうか…。
一つのことを考えていたら、次々と疑問が浮かぶ。
なぜ、大嫌いだったこの街にいるのか。一度イギリスで店を出したのに。別に失敗したわけじゃないのに…。
でも、いくら考えても答えは出なかった…。
今日は疲れてる…。帰って早く寝よう。そうしないと明日働けない。
そう思って立ち上がろうとした時、扉が開いた。…CLOSEの札を出したはずだが…?
「…まだいるのか?」
私が何かを言う前に声がした。聞き慣れた声だった。
「リョウ!どうして…。悪いけどもう片付けちまったよ…。」
突然現れたリョウは首を振って中に入ってきた。
「いや…丁度前を通りかかったら明かりが点いてたから。」
リョウはそう言いながら近づいてくる。すると、少し目を細めて私を見てきた。…その視線に少し動揺してしまった。
「顔色悪いぞ。疲れてるんじゃないか?」
リョウの台詞に驚いてしまった。
どうして…どうしてこの人は私の異変にすぐ気付いてしまうんだろう。
「そ、そうかな?照明が暗いせいじゃないか?」
なんとか誤魔化そうとしても無駄だった。リョウはますます目を細めた。
「いや、疲れた顔してる!送ってくよ、もう帰るんだろ?」
「え、い、いいよ!逆方向だし悪いよ。」
私が言うと、リョウは鋭い声で言葉を返した。
「馬鹿野郎、無理すんな!行くぞ!!」
リョウは荷物を片手に立ち尽くす私の手首を掴んだ。私はされるがままだった。店の電気を消し、扉に鍵を掛けると外に出た。
「後ろ乗れ。ほら!」
「ごめん、迷惑かけちゃって…。」
ヘルメットを渡され、それを抱えて俯きながら言った。すると、リョウは私の頭に軽く手刀を入れた。
「…迷惑ならこんなこと言い出さないよ。」
リョウは優しい笑顔を向けてくれた。
「さぁ、遅くなっちまうからさっさと乗れよ。」
「…あぁ。」
渡されたヘルメットをかぶり、リョウの後ろに座った。
「しっかり掴れよ!」
リョウの服の端を掴むと、それを合図にバイクが走り出した。
リョウの背中をじっと見つめる。…なんて広くて大きいんだろう。
その時、ふとマリーの言葉を思い出す。…正確に言えば、マリーに言われたことを考えていた時に頭に浮かんだ自分自身への問いかけのこと…。
私がこの街に戻ってきたのは…。
「リョウの背中、暖かいね。」
「え?」
信号に引っかかってバイクを止めた瞬間、ぽつりと呟いた。上手く聞こえなかっただろうリョウは、振り返って私を見た。
「…リョウの背中、暖かい…」
今度ははっきりとリョウに聞こえるように言った。リョウは軽く首を傾げた。
「そうか?」
「ん…広くて、暖かい。」
リョウの背中に触れたのは初めてだった気がする。でも…
「なんだか懐かしいような、そんな感じ。…いいんだ、なんでもない。ほら、信号変わったよ!」
私の言っていることがよくわからないでもやもやしているのだろう。納得いかない表情のまま再びバイクを走らせるリョウを見たらなんだか笑えた。
私がこの街に戻ってきたのは、きっと…
この人に会いたかったから。できるだけ傍にいたかったから…。
いつから惹かれていたのかはわからない。もしかしたら、出会ったときかもしれない…。
自分と似た境遇の彼。
でも、彼は自分とは明らかに違かった。大切なものを抱えたまま何もできずにいた自分とは。彼は確実に一歩一歩歩んでいた。
…でも、私は…一歩を踏み出せないままだった。
力を持っていても、それを乱用しようとはしない強さ、優しさを持っていた。
私には無いものを彼はいっぱい持っていた。彼に惹かれたのはそれを知ったときだろう。
リョウとの出会いは私を変えてくれた。歩みだす勇気をくれた。強くなるきっかけをくれた。人を信じることの大切さを教えてくれた。
私も、リョウに何かを与えたかった。リョウにとって特別な人になりたいから。だから戻ってきた。傍にいなければそれすら叶わないから。
何より私が安らげる場所は…頼れる場所はここだから。何もできなくても、優しく包んでくれるから。
だから、私は今ここにいるんだ…。
「今は独占してもいいよね…」
聞こえないくらい小さな声で言って、リョウの腰に腕をまわす。広い背中に抱きついてそのぬくもりを感じながら顔を埋め、目を閉じた。
リョウの体が強張ったのがわかった。緊張しているのだろう。でも離す気はなかった。
『誰かに頼ることも必要なんだから』
帰り際マリーが言ったことを思い出した。
…もう大丈夫…。
大切なことが思い出せてよかった…。
「ありがとうね、わざわざ。」
言いながらヘルメットを渡すと、リョウはいつもの優しい笑顔を向けてくれた。
「あぁ。…なあ」
「ん?」
リョウは人差し指で頬を掻きながら言った。
「お節介かもしれないけどさ…あんま無理すんなよ。…その、お、俺とかに頼ってもいいんだから、さ。」
リョウは視線を逸らしながら言った。
「…ありがとう。でも大丈夫。」
私の言葉に少し戸惑ったのか、すぐに視線を合わせ何か言おうとした…が、私はすぐに言葉を続けた。
「ちゃんと甘えてるつもり…だから。」
自分も照れくさくなって視線を逸らした。リョウの息を吐く音だけが聞こえた。
「わかりにくい甘え方だな。」
「何さ。露骨に甘えだしたらびびるくせにさ。」
不貞腐れた様に言うと、小さな笑い声が聞こえた。
「笑わなくてもいいじゃないか…。」
「すまん。なんだかさ、ほんとに無理してるように見えてさ…。」
「…してないって言ったら嘘になるよ。…でも」
息継ぎをしながら言葉を続けた。今度はしっかりとリョウを見ながら…
「それでも笑っていられるのは、こうしてリョウが心配してくれるからだよ。」
精一杯の笑顔を向け言うと、リョウの頬が紅潮しているように見えた。
びっくりしたような顔が笑顔に変わるまでにそう時間はかからなかった。
「…そっか。それなら、いいよ。」
その優しい眼差しはどこか懐かしかった…
リョウのバイクはすぐに視界から消えた。消えた後も少しだけリョウが立っていた場所を眺めていた。
私は深呼吸をして部屋へと向かった。
体にはしっかりとリョウのぬくもりが残っていた。
END
あとがき
KOFシリーズの途中で、いつのまにかイギリスからサウスタウンに戻ってきたキングの心境を、自分なりに書いてみました。
キングは強い女性ですが、心の奥には弱い部分もあるはず!
そんな部分に気づかなくても、いつのまにかリョウが埋めてくれる。そんな二人が好きです。
なんだか、リョウよりマリーがでしゃばっている気がするのは…気のせいです、たぶん。