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朝から落ち着かないせいか、今日の授業はずっと上の空だった。
先生が何を言っても頭に入らないし、ノートを取ろうとしてもペンを持つところまでいかない。
席が後ろの窓側なのをいいことに、ずっと外の雪景色を見ていた。
「宏人、ノート貸して。」
昼休み、俺は近くにいた宏人に話しかけた。
「あぁ、さっきの…英語だっけ?」
「いや、今日の全部。」
その言葉に、宏人は驚いていた。
普段は逆立場なのだ。
「そ、そっか…あ、でも俺現社は寝てたぜ。」
「別にいいよ。」
宏人からノートを受け取り、無造作にめくった。
「…きったねぇな。やっぱやめた。他あたるわ。」
そんな言葉が、自然と出てしまった。
「ひっでぇ奴だなぁ。」
―俺は、今なんて失礼なことを言ったのだろう―
宏人の性格なら、今の言葉に対して絶対につっかかってきたはずだ。
今日の俺は、やっぱりどこかおかしい。
宏人にはそれが伝わっていたのだろう。
謝ることも出来ず、無言で宏人の席を離れる自分がますます嫌になった。
「永瀬、お客さん。」
飽きもせず外を眺めていると、橋本が俺を呼んだ。
「誰?」
「彩乃ちゃん。」
廊下で俺を呼んでいたのは、陸上部の後輩、星彩乃、雪乃の妹だ。
「どうした?」
「すいません、いきなり呼び出しちゃって。」
彩乃はわざわざ丁寧にあいさつをする。
「いや、別に。」
「あの、これ、お姉ちゃんの部屋から出てきたんです。」
そういうと、俺に封筒を渡してきた。
なるほど、そこには『浩司へ』と書かれていた。
「今までなかったと思うんですけどね、ちゃんと整理されてなかったみたいで。」
「わざわざ悪いな。部活のときでもよかったのに。」
「あ、今日休むんで。」
「そうなのか?風邪でも引いたのか?」
「いや、またちゃんと見ておこうと思って。他に残ってるものがあるかもしれないし。」
「そっか。わざわざサンキュな。」
彩乃は丁寧にお辞儀をしていった。
席に戻って封筒をじっと見つめる。
今、開けてしまおうか…。
いや、どうせなら1人きりの時がいい。
俺は封筒が折れないようにファイルに入れ、かばんにしまった。
午後、このくそ寒い中、体育。…もちろん体育館だが。
室内も冷え切って、息も白い。
「うえ〜寒っ!」
「高校生にもなってこの時期に半袖短パンとかマジありえねぇ」
そんな声が体育館内に響く。
「こらぁ、うるせぇぞ!!さっさと集まれ!」
体育館の真ん中にいた強面の先生が怒鳴った。
「今日は25日だから…25番、永瀬だな。あと係の神田、お前らボール取って来い。」
…最悪だ。ただでさえ寒いのに、なんで今日に限って…
「ほら、早くしろ!」
「はい…」
俺はめんどくさそうに立ち上がる。
「ま、運が悪かったと思ってさっさと行こうぜ。」
宏人は笑って先に体育館を出て行った。
この学校は、体育館と倉庫が離れている。
わざわざこんな造りにしなくてもいいのに…
「じゃ、俺こっちのカゴ持ってくから、浩司はそっちよろしくな。」
言われるがままカゴを運ぼうと振り返る。
宏人が持って行ったカゴの方が、ボールの数が明らかに多かった。
…気を使ってくれたのか…
「サンキュ」
小声で言うと、宏人は振り返って、何も言わずに笑い返した。
倉庫を出て、体育館に戻ろうと歩いていた。
「…あ、雪」
宏人が空を見上げて言った。
さっきまで降っていなかった雪が、ちらちらと舞っていた。
授業中だということをすっかり忘れ、つい中庭の前で立ち止まってしまった。
―その時…
中庭に…人影らしきものが見えた。
……目の錯覚か?
目をこすり、もう一度中庭を見る。
…やっぱり。あれは…女の子のシルエットだ。
でも、今授業中だし…こんなところで堂々とサボりか?
「…どうした?」
前を歩いていた宏人が、こっちを向いた。
「いや、あそこにいる奴…普通こんなとこでサボるかなって思って…」
そういって人影を指差すと、宏人は変な目でこっちを睨んできた。
「…どこ?」
「え?どこって…二番目の柱のとこに影見えるだろ、はっきりと」
再びちらちらと動く影を指差すと、今度は大きなため息をついた。
「…お前さぁ、そろそろやばいんじゃねぇの?誰もいないぜ?」
「は?嘘?!」
その言葉に、声が裏返ってしまった。
「今のお前より正常な俺が言ってんだから。こんな嘘ついても得しねぇし」
「でも俺はっきり見えんだけど…」
何度見返しても、その人影は俺の視界に入ってくる。
困惑している俺を、宏人は呆れ顔で見てきた。
「俺先行ってるからな。」
もうフォローするのにも限界を感じたのか、そう言って体育館に向かって行ってしまった。
もう一度影の方向を向き、そのままこの動きを目で追ってみた。
その時、とうとう影は姿を現した。
―そして…
「!!」
ボールカゴが手から離れた。
………まさか…
「…雪乃?」
俺の前に現れたその姿を見て、自然に出た言葉だった。
そっくりなのだ、雪乃に…
いや、そっくりというより………
「お前、雪乃だろ?」
上履きのまま中庭に足を踏み入れる。
「雪―」
―――その瞬間、目の前の影は消えた。
宏人の言う通りなのか、そろそろヤバイような気がした。
その後、遅れて体育館に戻ると、先生に怒鳴られ、館内を走らされた。
走りながらも、中庭のあのシルエットが頭から離れないでいた……。
片付けの時、中庭を覗いても、誰もいなかった。
自分が正常に戻れる日は、いつくるのだろうか…?